第6回歩こう会 〜柴又〜 を実施しました

第6回歩こう会 〜柴又〜 を実施しました

参加者

飯塚、黒柳、栗野、小出、佐賀、下村、原、前田、安田、山中、渡邊(11名、50音順、敬称略)

 

概要

2019/3/23(土)に開催。集合場所は10:30に柴又駅。前回の日本橋に続き、当日はあいにくの小雨。私、山中が雨男なのかも知れません。

柴又は、人気シリーズ映画「男はつらいよ」の主人公・寅さんの故郷としておなじみの東京の下町です。

午前中は、「かつしか語り隊」の中馬さんのガイドのもと、1時間半近くかけて、柴又ハイカラ横丁、柴又帝釈天、彫刻ギャラリー、邃渓園などを回りました。

お昼は、250年続く老舗の川千家で、鰻をいただきました。日本酒とともに、ふんわりとした身と甘過ぎないタレで、昔ながらの鰻の味を堪能しました。

午後は矢切の渡しに乗り、松戸方面で下船。野菊の墓文学碑も見学する予定でしたが、時間と体力の関係で断念。川岸から文学碑のある丘を眺めることで済ませました。

再び矢切の渡しに乗り、柴又側へ。寅さん記念館を見学し、14:30頃解散しました。

ところごころ小雨の降る、寒い日での開催となりましたが、昭和レトロの雰囲気を残す下町を散策し、美味しい料理をいただいた楽しい1日となりました。万歩計は午前と午後合わせて約9,000歩に達しました。

今回参加された方も参加されなかった方も、次回の歩こう会へのご参加、心よりお待ちしております。

当日の写真

https://photos.app.goo.gl/gYveaDtRaqGWwo278

散歩コース

以下をクリックすると、Google Mapsで、より詳細なルートをご覧いただけます。

https://drive.google.com/open?id=1QMzA-Tk1zpR9d7OAzvM_nNkRq2nkDtbt&usp=sharing

 

1. 柴又駅

10:30に集合。

当日駅前で「かつしか語り隊」の中馬さんにガイドをお願いしました。本当は1人300円のガイド料がかかるのですが、安田さんの交渉で特別に無料でガイドしていただけることになりました。

柴又駅前のロータリーは京成電鉄による再開発が決まっており、駅前の飲食店が閉まっているのは再開発のためだそうです。

駅から参道までの道は、「柴又ハイカラ横丁」と呼ばれ、昭和レトロな雰囲気が感じられます。

通り沿いには「おもちゃ博物館」があります。なぜ柴又におもちゃの施設があるのでしょうか?実は、かつて葛飾にはおもちゃ工場が密集していたのです。葛飾区に本社を構えるタカラトミーもそのうちの一つです。

参道に向かう途中に、参道改修の際に渥美清や山田洋次監督が寄贈した記念碑があります。

参道の改修の際に電柱は地中に埋められたため、とても雰囲気の良い景観になっています。

参道には約50軒のお店があり、そのうち草団子屋さんが8軒あります。他には、せんべい屋、漬物屋、仏具屋などが多いのが特徴です。草団子やの「とらや」は寅さんの実家という設定で、撮影でよく使われていた場所です。

数ある草団子屋さんの中でも私の一押しは、吉野家です。このお店の草団子はとにかくよもぎの量が多く、他のお店と比べると緑色が濃いことがわかります。圧倒的なよもぎの風味を感じることができます。できたての熱々の草団子に、あんこをつけて食べます。

ところで、なぜ柴又には草団子屋さんが多いのでしょうか?

水郷地帯の柴又は米作りが盛んだった土地で、米を潰して団子をつき、江戸川沿いの土手で摘んだヨモギで香り付けしたのが草だんごの始まりでした。それがやがて参拝客をもてなす茶屋の甘味として親しまれる名物になったのです。

 

2. 柴又帝釈天  (しばまたたいしゃくてん)

創建は寛永6年(1629年)。日蓮宗の由緒あるお寺。

境内にある「瑞龍の松」は樹齢なんと500年。日栄上人が柴又に寄った際に、この見事な枝ぶりの松と、その下に霊泉が沸いているのを見つけ、この地に庵を設けたことが帝釈天の始まりと言われています。

柴又帝釈天には、日本唯一の「テニスのお守り(庭球勝守)」があります。2014年のデビスカップ出場の際には、錦織圭選手も参拝し、史上初のベスト8進出を果たしました。寅さんの街は今、アスリートの聖地にもなっています。

柴又帝釈天には、「祖師堂(そしどう)」「釈迦堂」「帝釈堂」の3つのお堂があります。三代にわたり作られました。3つのお堂が1つの境内に並んでいるのはとても珍しいことです。

 

3. 彫刻ギャラリー (ちょうこくぎゃらりー)

帝釈天は「彫刻の寺」と言われるほど、帝釈堂は所狭しと彫刻で飾られています。ガイドさんいわく、9割ぐらいの参拝客は彫刻ギャラリーを見ないで帰ってしまう人が多く、とてももったいないとおっしゃっていました。入館料に400円かかりますが、必見の価値があります。

かつては彫刻はむき出しの状態だったため、人が触って彫刻が損傷してしまいました。そこで彫刻を保護するために、内殿は建物ごとガラスの壁で覆い、また見学者用の通路を設けて「彫刻ギャラリー」という名称で一般公開することになりました。空調も入れ、日除けもできるようになっています。ガラスで覆うという着想は、ルーブル美術館のエントランスから得たそうです。

ここの彫刻は白木で、日光東照宮の彫刻のように彩色は入れていません。もっとも有名なのは胴羽目(どうはめ)彫刻。東、北、西の面に合計10枚の胴羽目板が飾られています。厚み20センチで長さ2.7メートルもあるケヤキの木を使っています。この10枚の胴羽目板は、法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、1922年から1934年という長い年月をかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担して制作しました。これだけ長い年月がかかったのは、途中、関東大震災があったためです。

下の加藤寅之助の作品が完成したのは大正11年(1922)なので、関東大震災前だということがわかります。表からだけでなく、裏からも掘ることによってこの立体感を実現しています。

⬆️「大正十二年 加藤寅之助作」と掘られています。

 

4. 邃渓園 (すいけいえん)

彫刻ギャラリーの入館料でこちらの庭園にも入ることができます。この庭は昭和4年から約30年かけて、向島の庭師、永井楽山によって作られた庭です。

彫刻ギャラリーの胴羽目板を作る際に使用された、原型彫刻が展示されています。

座敷のうちもっとも奥にある「頂経の間」の「南天の床柱」は、日本一のもので、直径30センチ、滋賀県の伊吹山にあった樹齢約1,500年の南天の自然木を使用したものです。南天の木は細く、せいぜい直径数センチぐらいにしかなりません。いかにこの30センチというのが凄いことかわかります。

5. 川千家 (かわちや)

昼食は、川千家にて。創業250年の川魚料理で有名な老舗です。柴又でもっとも有名な料理店と言えるでしょう。国産の鰻を蒸し焼きにし、身がふんわりとしています。江戸時代に食べられていた「うな重」にこだわっており、甘すぎないタレを使った昔ながらの「うな重」が味わえます。

江戸市中から柴又への参拝客が増えて、そうした参拝客をもてなすために柴又の農家が副業で江戸川でとれる川魚料理を振る舞うようになったのが、柴又で川魚料理店ができたきっかけです。

川千家もそうした中でできた店の一つです。その他に、創業220年の川甚も有名です。

6. 山本亭 (やまもとてい)

大正時代にカメラ部品の製造業で名を馳せた山本栄之助の邸宅です。4代にわたり使われ、平成3年から一般公開されています。

アメリカの日本庭園の専門誌では、2016年に「居心地よい庭園ランキング」で島根の足立美術館、京都の桂離宮に次いで3位にランクイン。

今回は中には入りませんでしたが、100円で入園できます。静寂の癒しは世界共通の魅力となっています。

 

7. 矢切の渡し (やぎりのわたし)

柴又と松戸市を結ぶ片道5分の都内唯一の渡し船です。小説「野菊の墓」の舞台や昭和58年発売の細川たかしさんのヒット曲としても有名です。平成8年には船をこぐ音が「残したい日本の音百景」に選定されました。

片道は200円。往復で400円です。定員は31人なので、全員一度に乗ることができました。松戸方面には手漕ぎで、帰りはモーターで少し遠回りし、船頭さんが江戸川にまつわる話をしてくれました。

8. 野菊の墓文学碑 (のぎくのはかぶんがくひ)

矢切を舞台にした伊藤左千夫の純愛小説「野菊の墓」を記念して昭和40年に建立された文学碑です。伊藤左千夫の門人、土屋文明の筆により、「野菊の墓」の 一節が刻まれています。高台にあり、矢切の田園風景から江戸川を一望することができる眺望スポットにもなっています。

矢切の渡しから片道で20分ぐらいの距離になるため、河岸から文学碑の方向を眺めることにとどめました。

 

9. 寅さん記念館 (とらさんきねんかん)

1997年開館。今年で20周年を迎えた映画の世界を再現したファンにはたまらない空間です。

明治32年から大正2年まで、金町~柴又間の1.5キロを帝釈天への参拝客を乗せて運んだ「帝釈人車鉄道」の客車を再現したものも展示しています。恥ずかしながら、私は人車鉄道なるものが存在していたことすら知りませんでした。

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