第3回歩こう会を実施しました
第3回の歩こう会を2017年4月15日に実施致しました。
参加者(12名、敬称略、50音順)
阿部、飯塚、市野、金森、栗野、黒柳、小池、佐賀、原、松原、安田、山中(50音順、敬称略)
当日の写真
https://goo.gl/photos/2mJ4ZTB6uxZKTayx7
散歩コース
- 10:00に根津駅に集合し、根津神社に向かいました。根津神社では4/8〜5/5まで開催中の「つつじ祭り」を見学しました。今年の春は気温が低かったため、残念ながらツツジは1割程度しか開花していませんでした。見学後、「根津のたい焼き」のたい焼きを食べて小休憩。このお店は行列の絶えない根津の名物人気店です。皮は薄く、パリパリとしていますが、内側はもっちりとしています。
- 千駄木へ向かう途中、「へび道」を歩きました。狭くてくねくねと蛇行したこの道は、現在は生活路地になっていますが、かつては藍染川という小川でした。川は、水はけが悪くよく氾濫したので、1921年から暗渠化工事が行われました。現在でもこの地下に川が流れていて、上野不忍池の方へ流れているそうです。
- お昼まで少し時間が余ったので、森鴎外記念館を30分ほど見学。千駄木は、鴎外がその半生を過ごした地です。記念館が建つ場所は、鴎外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は1892年から、亡くなる1922年までここで過ごしました。
- 昼食は12:00から千駄木の「天外天」でとりました。中華料理の人気店。お酒も少し飲みながら昼食をいただくのが、歩こう会の楽しみの一つです。赤坂の「四川飯店」や銀座の「維新號」など、他の中華料理の名店の話題も出ました。
- 午後は、谷中銀座を各自散策した後、「夕焼けだんだん」を経由して、「朝倉彫塑館」へ。朝倉彫塑館は朝倉文夫のアトリエと住居だった建物です。朝倉は東京美術学校を卒業した1907年、24歳の時に谷中にアトリエと住居を構えました。建物は朝倉が自ら設計し、細部に至るまで様々な工夫を凝らしており、こだわりが感じられます。館内の見学を通して、かなり高級な木材が使用されていることが確認できました。朝倉はここを「朝倉彫塑塾」と命名し、広く門戸を開放して弟子を育成しました。1967年に故人の遺志により自宅を朝倉彫塑館として公開。その後、台東区に移管され、台東区立朝倉彫塑館となりました。
- 明治時代に、sculptureの訳語として、彫り刻む技法「彫刻(carving)」と、かたちづくる技法「塑造(modelling)」を合わせて「彫塑」という言葉が生まれました。提唱したのは大村西崖という朝倉の先生でした。朝倉は「彫塑」という言葉にこだわりを持ち、朝倉彫塑館と命名しました。しかし「彫塑」という言葉は定着しませんでした。現在、日本では「塑造」を含んだ広い意味で「彫刻」と呼ぶことが一般的です。
- 朝倉彫塑館の次は「観音寺築地塀(ついじべい)」へ。築地塀は、江戸時代に築造された土塀で、土と瓦を交互に積み重ねて作った土塀に屋根瓦をふいた珍しいものです。国登録有形文化財に指定されています。
- 最後に立ち寄ったのは、「全生庵」。1883年、山岡鉄舟が維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うため建立したお寺です。境内墓地に三遊亭円朝ほか多くの知名人の墓があります。また幽霊画50幅、西郷隆盛の書など寺宝も多数所蔵しています。
- 元々の計画では、この後大名時計博物館を見学する予定でしたが、体力的にも時間的にもここで切り上げることにしました。千駄木駅で14時半頃解散しました。
つつじを楽しむにはまだ少し早かったですが、天候にもめぐまれ、とても健康的な一日となりました。
今回参加された方も参加されなかった方も、次回の歩こう会へのご参加、心よりお待ちしております。
分科会幹事のみなさま、いつもありがとうございます!
次回はいつ頃の予定ですか?