2014年再興総会会長挨拶文
再興「浦安三田会総会」における第6代会長挨拶
ただ今、ご紹介に預かりました、第6代浦安三田会会長に就任しました、昭和43年商学部卒の原世紀雄でございます。諸先輩を差し置いて、僭越ながら、高い檀上より御挨拶させて頂きます。
この度は、清家篤慶應義塾長のご臨席を賜り、又、本日会場を提供して頂いた、ブライトンホテルの親会社である、オリエンタルランド会長であり慶應義塾の評議員および塾外理事をされている加賀見俊夫様、千葉県合同三田会川口幸雄会長初め近隣三田会幹部並びに浦安稲門会小串重人会長をお迎えし、再興「浦安三田会」開催の運びとなりましたこと、浦安三田会の皆様を代表して、お祝い申し上げると共に、開催に至るまで御尽力頂いた執行部各位に心より感謝申し上げます。
又、浦安三田会の再興に際し、種々貴重なご助言を頂き且つ清家篤慶應義塾塾長のご来駕に御尽力頂いた、慶應義塾大学伊藤名誉教授に対し、この場を借りて御礼申し上げます。
1981年、浦安三田会が設立されましたが、その後の会長の交代や事務局の転勤・転居等により、2006年頃より浦安三田会としての活動が停止され、休眠状態のまま今日に至っております。
一昨年夏頃から、顧問に就任された、市野様及び岡野様から浦安三田会を再興すべしとの声が上がり、塾監局から塾員名簿を取り寄せました処、1,300名にも上ることが判明しました。これだけ大勢の塾員を抱える新興都市浦安の三田会が休眠状態であるのはいかにも残念であり、又浦安稲門会が活発に活動されている状況を見るにつけ、なお一層再興を願う気持ちが強くなりました。
このような背景の下、遅れること1年、昨年9月市野様及び岡野様から、再興「浦安三田会」の世話人として協力するよう要請を受け、今回幹事長に就任した小池様及び事務局長に就任した金森様と共に世話人会の一員として参加しました。
その間、数十回世話人会を重ねましたが、昨年12月頃の世話人会で、役員人事の話し合いをした際、突然市野様より、「会長は原さんにやって欲しい」との要請を受け、小生より「世話人の一員として協力するが、会長は勘弁して頂きたい。市野先輩がやるべし」と固辞しました処、市野様より「自分は、高齢過ぎるし、原さんの年恰好が相応しいし、最初から原さんを会長にすることを念頭に置いて世話人会を運営してきた。適任者は原さんしかいない」と懇請を受け、市野先輩に上手くはめられたと思いつつも、市野様の浦安三田会の再興に駆ける熱い思いに抗しきれず、会長内定を承諾した次第でございます。因みに、小生は69歳で、今年の11月で70歳となり、市野様が仰るほど、適正な世代とは必ずしも思っておりませんので、できるだけ早急に浦安三田会を盤石の体制にした後、後継者に会長職を委譲したいと考えております。
10数年以上も休眠状態にあった浦安三田会の再興を目指す訳ですから、一気に会員を増やすのではなく、組織としての足元を固めてから徐々に会員を増やし、活動内容を充実させようという方針を決め、世話人が手分けし、再興の趣旨に賛同する塾員を募りました処、34名の賛同者の確認が取れました。その後、案内状をお出しし、出席者及び入会者の募りました結果、出席者が49名、入会者が67名にものぼることが判明し、ひとまずほっとすると同時に、塾員の再興「浦安三田会」に対する熱い思いをひしひしと感じました。今回欠席されている方も含め入会者の皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
ご存知の通り、浦安市は都市圏では、東日本大震災により最も大きい被害を受けた地域であり、歴史的に初めて人口流出を経験しました。大震災前、都市圏で最も住み易い町として高い評価を受けていました浦安市は、大きなイメージダウンを受けました。しかしながら、今復興の真っ盛りで、1~2年以内には元の住み易い町に復活すると確信しております。
人口が急増して、16万人を抱える新興都市浦安市は千葉県に位置しているとはいえ、実質首都圏に属し、しかも子学歴社会を形成いるため、在住する塾員も1,300名に達し、塾員比率が最も高い地域となっております。
このような環境下、再興「浦安三田会」としては、浦安市の震災からの復興や経済活性化への貢献をする共に、千葉県内の他三田会や連合三田会との連携及び慶應義塾への協力活動等を通じ、こらからの慶應義塾の発展に寄与すべく、誠心誠意努力を傾注することを祈念し、会長の挨拶とさせて頂きます。
ご清聴有難うございました。
平成26年3月25日
浦安三田会6代会長
原 世紀雄